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プロフィール

長谷川晃一

出身地:川崎市幸区(現住所)
育ち:静岡県田方郡函南町(伊豆の入り口)
星座:うお座
身長:167cm
趣味:川崎フロンターレの試合を中心したスポーツ観戦、選手サイン集め、映画鑑賞、釣り、子供と遊ぶ
資格:税理士(平成11年12月合格)
ファイナンシャルプランナー 個人・法人2級
宅地建物取引主任者資格

幼少期

白い巨塔のロケにも使われた川崎市立川崎病院で生まれ、3歳まで川崎で過ごしました。
川崎は明治製菓の工場があり、祖父がそこに歩いて通うために今の家を建築しました。
ちなみに今はソリッドスクエアというツインのビルになっていて、そこの地下のスポーツクラブに通っています。
小児ぜんそくで川崎に住み続けては治らないということで駿東郡長泉町というところへ引っ越しました。
その当時は行方不明になるのが得意で、家から2km先で発見されたこともあったそうです。

函南東小−函南東中

その後田方郡函南町へ引っ越し、18歳までそこで過ごしました。
薬用温泉当時全国2位の畑毛温泉のすぐ近くです。
山を切り開いて作ったばかりの団地なので、台風になると上のほうから流れる水がたまり、2度の床下浸水を体験しました。
学校はともに開校2年目の東校へ行きました。
日本代表DFの内田篤人選手が函南中なのは非常に残念です。
中学3年生時の担任の先生がくせのある先生でしたが自分にとっては大当たりで、その方のおかげでワンランク上の高校に受からしてもらいました。
大変感謝していますが、その後お会いした時に全く覚えていないといわれて大変ショックでした。
確かに子供のころは太っていたので、今と当時では相当見た目が違います。

静岡県立伊豆中央高

鮎釣りなどで有名な狩野川のほとりにある学校でとても良い場所にあります。
天城越えのカラオケ映像の中に学校のまわりが映っていました。
高校ではパソコンとか無線とかやっていましたが、物理が全くわからず理系は断念しました。
1年時には、当初中学と高校のスピードの違いに全くついていけず最初の試験は365人中350番ぐらいだったと記憶しています。
部活合宿(といっても学校でひたすらPC6000で信長の野望などのゲームや無線をやったりしているだけですが)で徹夜して家への帰りに、自転車を居眠り運転して田んぼに落ちそうになり、長時間労働などは自分には向いていなとこの時悟りました。
ちなみに自宅から最寄り駅の大場まで4kmあったので、8kmある学校まで自転車で通学していました。
現在も主に自転車で移動していますが、高校時代の3年間の経験があるので自分にとってはエコでもなんでもなく普通のことです。

東洋大学経営学部商学科

駅伝の常連校で、1月2・3日は毎年楽しませてもらっています。
野球も非常に強いです。
残念ながら在籍した学科がなくなっているのを最近知りました。 今となっては感謝していますが、当時は一浪のすえの結果で大変納得いかないものでした。
1年だけマジシャンズサークルに入って普通の学生生活を送りましたが、自分の誕生日が税理士記念日であることを知って運命を感じたこともあり、2年から税理士を目指すことにしました。
当時は仕送り8万で国民年金も払っていたので非常にきつかったですが、運良く3年連続で奨学金をもらえたので大原簿記の学費に充てることができました。
その当時周りで競馬がはやっていて付き合い程度に数百円購入していたのですが、「ベガはベガでもホクトベガだ」のエリザベス女王杯とオグリローマンの桜花賞で万馬券を当てて生活費に充当できたのも大きかったです。
税理士試験が8月なので大学卒業後約半年間は勉強に専念し、無職を経験しました。
このころでお金のありがたみを体感し、倹約生活には慣れるというか、なれざるを得ない経験をしました。
ちなみに大学入学時から6年間は池袋に住んでおりました。
池袋というとなんかおしゃれな感じですが、住んでいたのはすごいボロアパートで、入居2年目に木の窓からアルミ窓になったときは感動しました。
日本スーパーライト級1位のボクサーから早稲田の留年生までいろんな人が住んでいました。
早大生の朝6時のドラムで起こされたのは一生忘れません。

大田区内の公認会計士事務所1つ目

およそ3年半ずつ2つのところに勤務しました。
最初に仕事を探す際に、大学在学時に一部科目合格していてすぐに雇ってもらえるかと思ったら、経験がないとだめといわれ続け結構苦労しました。
自分がスロースターターということもあり、確かに1年ぐらいは全く仕事になっていなかったので、今雇う立場になって考えるとその考えも良くわかります。
1つ目のところは5時ぴったりに終わることができたため、そのまま大原簿記に直行していました。
誰も住む者が居なくなったため、この事務所に勤務している間の平成8年の8月に川崎に戻ってきました。
お盆の時期で道が非常にすいていたのでスムーズに引っ越しができたのを覚えています。
ちょうど年数的に3年を経過したら移ることを考えていたので、あと1科目受かれば合格という時点で次の事務所に移ることにしました。

大田区内の公認会計士事務所2つ目

2つ目のところへ移る際に就職活動をした時には、逆にあちこちから来てくれと言われたのでびっくりしましたね。
そんなに大して経験もなかったのですが、経験者ということで雇ってもらい残りの1科目仕事しながら勉強していました。
移ったその年の11月に父親が食道ガンで他界しました。
税理士合格前だったのは非常に残念でしたが、税理士試験の初期費用を生活費の負担などで利息を十分につけて返せた点だけは心残りにならず良かったです。
悪状況には慣れているものの、ここの事務所は非常に狭くて大変でした。
7坪で8人、イスを引かないと人が通れないのには参りました。
所長がお忙しい方で放任主義だったのでいろいろ考えながら仕事ができたのは良かったと思います。
また、IT化が遅れていた業界であったので、この時点でパソコンのウインドウズを使うことができたのは大きかったです。
ここで勤務中の平成11年12月に試験開始から8年目でようやく合格できました。

長谷川晃一税理士事務所開業

合格からおよそ2年後に開業しました。
21世紀初めに開業するということにこだわりました。
当初は開業すればどんどんお客さんが来て、事務所が大きくなるのかと勘違いしていました。
倹約ぐせがついていて生活に困るということもなかったので、これまでのんびり自分の出来る範囲でやってきました。
しかし、お客様間の事業提携なども含めた交流を推進したいという思いや廃業による顧客減の対応策として、ここにきてある程度顧問先数の確保が必要と思いこのホームページなどの作成も含めいろいろ始めたしだいです。